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50年前の安土城 [城・館・チャシ・グスク]

 この安土城については7年前の「城紀行」でちょっと載せましたが、前回の天守の中で、
昔は天守閣とは言わなかったと書きましたが、この安土城の跡碑では「天主閣」と書かれて
います。
 以前日本城郭史学会の代表の西ヶ谷氏がなにかの本で天守閣と言われるのは、
「江戸城」と「安土城」だけだと書かれているのを見たことがありましたが他に資料を見つける
ことが出来ないので、ここは深く考えないでください。

 それとこれも前回書きましたが、当時の文部省が手を加えて(天守の復元)ならぬとのこと、
ですが、では文化財だからと言うのであれば、もう少し保護に力をいれたらと思います。


では、当時の安土城についてですが、53年前ほとんど記憶がありませんので、前にもお話した
ように、訪城記(城紀行)から記憶を思いださせています。
下が城紀行のノートの1冊目です。
 1冊目は1963年の浜松城から1965年の岩槻城までの56城がかかれています。
Scan.jpg
下が書かれている内容です。
「1965(昭和40)年1月3日  晴  PM2:00~PM3:40

彦根をでたのが、12:30だから1時間半かかった、安土駅で降りて、お年寄に安土城
への道を聞いたら、あんたNHKのひとか、と言われた、城跡に行っても何もないよ、
ええ解ってます、一緒に行ってやるよ、こんな城だーれもきやしねえ、NHKの方は
時々来るのですか、、時々じゃねえたまーにだ、でもお城の研究会(日本城郭協会
・関西城郭研究会・東海古城研究会)の方たちがきているのでは、来てっかもしんねいが、
あまり見かけねえ、あんたみてぃに正月早々来る人なんかはじめてだ、正月に登る人は
あんた一人だ、ここに天守閣を建てる話があったが、文化財なんとかいうところが駄目
だと言って、そのままだ。
 登っている途中に困ったことに、この安土山で狩猟しているしている、人影は見えないが、
近くで音がきこえる。
 石垣も崩れかけているところがある、文化財と言うならもっと保護してもらいたい。
このお年寄がいなければ、もっと時間が掛かったかもしれない。また、色々と情報
も頂大変有難うございました。」
と書かれています。このノートがなければ、忘れてしまっていることです。また、城を廻る
ために、カメラも2台内1台は35mmでしたが、もう1台は1眼レフです、当時はズームが
あったかどうかは自分が購入したのは28mm、125mm、300mmと標準の52mmでした。
が全てズームではなく固定焦点のものでした、フイルターもFV..C4.W4などでした、当時は
自分で言うのはなんですが、結構マメでした、下のようにネガケースに撮った場所、レンズ
フィルターも書き込んでいたので、場所も写真と間違えずにすることができました。
Scan-1.jpg


 ところが、帰ってきてから写真を焼いたところが、大手門跡におばあさんが写っています、
あの時お年寄は正月早々来る人なんかはじめてだ。と云っておられたし、自分も前を
歩いている人はいなかったと思ったが、この写真は心霊写真ではありませんが、木の影
は写っているのに、おばあさんの影は写ってません、しかしこのお年寄の住所は聞いて
いなかったので確認出来ず、心に引っかかるものがあります。

では、写真です。


安土山(安土城址)遠景38-1.JPG
城址碑29-18.JPG

左は安土山(安土城)遠景、右は城址碑です

大手門跡29-1 -.JPG大手筋石垣29-11.JPG
左が問題の写真です、目の前におばあさんが登っています、シャッターを切る前
フェンダーには無かった景色です、しかし、この後下山するまで、姿を見ていません、
今と違って当時は合成技術なんかありませんので不思議です。
場所は左が大手門跡で右は大手筋石垣とありました。

大手通り石垣29-32.JPG豊臣秀吉邸跡28-28.JPG
左は大手通り石垣で右は豊臣秀吉邸跡とありますが、安土時代は豊臣でなくて羽柴
のはずですが、石碑には豊臣とありました。

前田利家邸跡28-31.JPG徳川家康邸跡28-32.JPG
左は前田利家邸跡、右は徳川家康邸跡です

織田信忠邸跡29-13.JPG織田信澄邸跡29-4.jpg
左は織田信忠帝跡、右は織田信澄邸跡です

森蘭丸邸跡29-12.JPG菅野九右衛門邸跡29-8.JPG
左は森蘭丸邸跡、右は菅野九右衛門邸跡です

二の丸口28-30.JPG二の丸跡碑29-3.JPG
左は二ノ丸口、右は二ノ丸跡碑です

黒金門跡28-29.JPG黒金門枡形石垣29-14.JPG
左黒金門跡、右は黒金門枡形石垣です。

黒金門枡形石垣28-33.JPG本丸口28-34.jpg
左は黒金門枡形石垣、右は本丸口です

本丸口石垣29-2.JPG本丸跡29-10.JPG
左は本丸口石垣ですが、かなり崩れています、右は本丸跡です

小田信長本廟28-35.jpg
小田信長廟所28-36.jpg
            
左は織田信長本廟、右はその碑です

小田信長墓所29-9.JPG天守閣跡29-16.JPG
左は織田信長墓所、右は天守の礎石です

天守台口石垣29-15.JPG天守台石垣29-6.JPG
左は天守台口石垣、右は天守台石垣です

天守閣跡石垣38-3.JPG天守台より望む旧弁天内湖29-5.JPG
左は石碑に「天主閣址」と書かれてあります、右は天守台より望む旧弁天内湖です

天守台より望む弁天内湖38-2.JPG八角平より望む旧弁天内湖38-7.JPG
左は天守台から望む弁天内湖、右は八角平より望む弁天内湖です

八角平より望む旧弁天内湖38-4.JPG台所跡石垣29-16.JPG
左は八角平より望む弁天内湖、右は台所跡石垣です

総見寺本堂跡29-7.JPG総見寺仁王門38-6.JPG
左は総見寺本堂跡、右は総見寺仁王門です

総見寺三重塔38-5.JPG
総見寺三重塔です

当時は城に関係ある書籍もすくなく、資料も少なく、国会図書館だのみでしたが、国会図書館は
日曜日が休みだったので、休暇をとっていかなければ調べることができなかったので、当時は
日本城郭協会、関西城郭研究会、東海古城研究会、西日本城郭研究会、歴史研究会(人物往来社)
など見学会に参加して情報を集めていました。
今は便利です、本も買わずも図書館にも行かず、ネットである程度が調べられるので、
一時城郭・歴史書だけで1000冊以上の蔵書がありましたが、それで十数人の
方に差し上げていましたが、不思議と差し上げた方々が離れていくので残りの蔵書は
図書館に寄贈することにしました。
 終活を始めています。いつまで続けられるか自信がありません。










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天守のお話 [城・館・チャシ・グスク]

 天守はお城を代表する象徴的な建造物です、ですから城=天守と思われがちですが、
城の中で天守のあった城は1%にも満たない数です、現在は町のシンボルとしての天守が
増えてきました。

天守の文字が文書に見られるようになったのは、「細川両家記」(1550天文12年)の中に
天守と言う文字が見られます、「遺老物語」では殿主、、「松屋筆記」には天主という文字
がみられます。
 しかし多くの書に安土城の天守が最初だと書かれてます、何故はっきりしないのかは
その古文書の裏づけとなる文書や発掘調査でも裏づけがとれていないので、否定も
肯定もされていません。
 このような覚える必要も調べる必要もないので、省きますというより、この時代の書の
解読が出来ないというのが本音です。


 天守を建てた目的・要素はなんなんだろうか。

1. 主殿の建築の中心に望楼があって、重層となった殿主建築の発達。

2. 眺望性と装飾を兼ねた楼閣建築の発達。

3.守城の時における戦闘上の必要性から構築された井楼櫓、矢倉の建築。

4. 城主の権力の象徴、相手への威嚇。

などがあります。秀吉の時代領主はこぞって天守を建てましたのですが、家康の時代に
なって、一国一城令のため支城の天守は取り壊されましたし、天守の再建はあまりない
ようでした。
 しかし明治維新によって破壊された天守、空襲、落雷、地震、火事などで消えた
天守がほとんどで、明治政府は明治6年に「廃城令」を布告しましたが、陸軍省の
管轄の城はその限りでないとのため、二条城、大坂城、津城、名古屋城、彦根城、
姫路城、岡山城、広島城、丸亀城、熊本城、首里城は陸軍省の管轄のため保存
されましたが、その他の城は売却・払い下げで廃城処分されました。
昭和の大東亜戦争のときもこれらの城は大本営になりました。今でもその名残が
広島城の大本営跡や新発田城の自衛隊の駐屯地です。
現在国宝の城は姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城と二条城ですが、二条城
には天守がありません、国宝は二ノ丸御殿です。
このように天守がないのに、国宝とお思いでしょうが、戦前の国宝は25城ありました。
が、仙台城や、金沢城は天守がないのに国宝に指定されています、今回は天守なので、
国宝とは別にしています。

、昭和25年ころは江戸時代の1/10までになりました。

昭和30年代になり第一次お城ブームで復興、模擬を含めて90くらいの天守が建てられ
ました。

 天守ですが、戦前までは天守としか呼ばれていませんでしたが、いつの間にか
天守閣とよばれています。
 では閣とは二層(二重)以上の建物、お寺などに使われている、金閣寺、銀閣寺なと゛
とあります、なので天守も閣といえます、しかしお寺は2階だと閣ですが、塔の場合は
五重塔、三重等といいます。 江お城も昭和のころまでは、五層七階、四層四階と層で
呼ばれてましたが、今は塔と同じで五重七階、四重四階と変りました。
 お城の場合、外観の屋根の数で重を表しますが、内部は外から見えない隠し階
があります、これも戦略的に敵を欺くものです。

 天守は昔の書によりますと、天守、天主、殿守、殿主と書かれています。

天守の種類と言うと望楼型、層塔型などと形態ちがうものを言うのですが、
「現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守、観光用天守に分類されます。

現存天守

 維新前から現存している天守で修理にも文化庁の許可が必要です
現在は12城あります。
現存天守.jpg
現存の天守はすべて国宝か国重要文化財です、一昨年松江城の天守も子ひくほうに
なりました。



復元天守

 復元と言うことは史実に基づき史実の通りに再現したものです、木造復元とか外観復元
とか言っている方がいらっしゃいますが、史実に忠実でないものは復元ではありません。
ただし現在の建築法で出来ない場合はやもうえませんが、注記が必要ではないでしょうか。

復元天守.jpg



外観復興

 位置、規模は史実とほぼ同等で、内外間が史実と異なる姿で再建されたものを言う。
指図、資料が完全でないものも或る。

復興天守.jpg




模擬天守

 位置、気穂、外観、天守の有無にかかわらず、資料もなく、推定で建てられた天守。
あいまいなところが多いので、模擬か観光かの区別が難しい天守もある。

模擬天守.jpg



観光用天守 (観光・天守風・怪しい天守・天守もどき・おかしな天守、等)

 城跡でもなく、観光目的のためにたてられた天守。
ここに載せていませんが、民間のお店、焼肉屋さん、すし屋さん、そば屋さん、
お菓子屋さん、など等全国で数百軒ありますが、面白いかもしれませんが、
天守と関係がないので、省きました。

観光天守1.jpg
観光天守2.jpg

 ここに載せた天守は151城です、今から5~60年前読売新聞にあまり観光目的で
城跡に建てないように書いたのですが、変りませんでした。しかし、現在廃墟となって
いる城、取り壊されてしまった天守、などかなりあります。
 昭和35年頃安土町が文部省(当時は文化庁はなかった)に天守を再建したいと
打診したところ、史蹟を破壊することはまかりならぬと却下されました、たまたま
城跡が国有地だったためですが、史蹟は国民の財産です、ですすが、民有地の
場合は仕方がないのかもしれません。

 現在、名古屋城や小田原城で天守の復元を計画されています。

また、文化庁からお叱りを受けた自治体があります、
長崎県のある町の町長さんお花見のため城跡を破壊し元の状態に戻すよう
言われました。

和歌山城では石垣の横での出店をやめるよう注意されました。

熊本城では地震前矢継ぎ早の再建に、文化庁から調査、計画はもっと
時間をかけてやるよう警告をうけました。

次回は当時文部省にストップをかけられてしまった。「安土城」の50年前の
お話です。




 
 
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一昔前のお城の姿 3 [城・館・チャシ・グスク]

 今回は天守について載せる予定でしたが、まだ編集ができていないので、今回は
前回の続きです。

当時の城についてほとんど記憶にないので、「城紀行」より思い出していますが、
読んでも記憶は蘇えってくれないのが、現状です。


武蔵松山城  1963(昭和38)年9月22日
そのときを思いだすことが出来ないので、「城紀行」より。
「今日は協会の見学会、参加者は100人くらいだろうか、講師は鳥羽先生、自然の要害
川をバックにした小山にあるが、慶長5年に廃城となっているので、遺構がなく、城址碑
があるだけの城だ。・・・。」
 
 この時青鳥城もいったのでレジュメは二つの城が書かれている。

青鳥・松山レジュメ.jpg
多分このレジュメも小和田先生方がガリ板で書かれたものでしょう。
城址碑・土塁021.JPG
城址碑019.JPG
                         
城址碑です。
城入口022.JPG
城入り口
何故か3枚の写真しかありません。


青鳥城  1963(昭和38)年9月22日
この城も見学会で武蔵松山城の後に訪れた城です。これも「城紀行」から
「・・・。現在民家、畑地となっている・・・。構築形式からみて南北朝時代のものだ
そうだ。・・・。」
説明板026.JPG空堀027.JPG
左は説明板、右は空堀

内堀025.JPG一文字塁029.JPG
左内掘、右一文字塁。

城内の墓030.JPG墓(城主)032.JPG
城内の城主の墓

 

小田原城  1963(昭和38)年10月6日
「城は公園となり、動物園、遊園地、グランド、市庁舎、小学校などがあり、復興
したばかりの、天守に上がり、石垣山をみたがよく判らない、天守内は大久保家の
資料、駕籠、小田原提灯などが展示されていた。」
残念だったのは、当時小田原古城については知らなかったので北条の城八幡山
古城に行けなかったことです。
下がそのときのパンフですが、16ページの小冊子です。今の1枚のパンプより
いいです。
Scan_edited-1.jpg

復興天守閣001.JPG
天守0.jpg

復興天守ですが、当時は天守の石垣のところまで、車が入れました。

堀・橋・櫓021.JPG隅櫓左は馬屋曲輪009.JPG
櫓は二ノ丸の隅櫓です、隅櫓の左は現在整備された馬屋曲輪で木々は
伐採されています。

本丸跡碑3.jpg本丸から二の丸へ012.JPG
左は本丸跡、右は二ノ丸から本丸へ行く門跡かも?。

常盤木門跡石垣004.JPG
常盤木門跡碑010.JPG
            
常磐木門跡の石垣です、現在は門が復元されています。

お茶壷端015.JPGお茶津補付近の堀014.JPG
お茶壷付近です。

塀018.JPG大名駕籠と小田原提灯005.JPG
塀ですが、現在あるかどうかは確認していません、と言うのは場所がどこただか
解らないので。右は天守1階にあった駕籠と小田原提灯です。

階段側木札は天守閣完成009.JPG小田原駅ビル2階食堂から見た小田原城022.JPG
左の階段横に天守閣完成とかかれたものが置かれていました、右は当時小田原駅の
駅ビルの二階は食堂だったので、そこから小田原城の天守がみえましたが、
現在はビルがありみえません。



石垣山一夜城  1963(昭和38)年10月6日
記憶がないので、「城紀行」からです。
「"草深き古城をそよぐ野分哉"
"虫の音に偲ぶ古城か苔の色"
小田原の帰りによったのだが、本丸跡以外は何の標識もないので、位置の確認
ができない、史蹟とは名ばかり、動物園や遊園地を少しでも史蹟の整備に回して
ほしい。・・・。」
石垣山入口の石垣004.JPG石垣山入口の石垣005.JPG

石垣山入口の石垣003.JPG
石垣山入り口2.JPG
              
写真右は石垣山入口ですが、今考えますとよく一人で行ったなーと言うかんじ。

石垣山入り口.JPG本丸跡.JPG
写真左は本丸跡碑ですが、草が生い茂り近けません。

石垣山碑.JPG
二ノ丸011.JPG
                                  
写真みぎは山頂にある碑、右は二ノ丸跡か。

石垣山より小田原方面001.JPG
小田原城をみましたが、見えませんでした。


この小田原城、石垣山一夜城のフィルム、デジタル化したCD、プリントした
写真は小田原城館長に差し上げました。
このように学術的目的に使われるかたには差し上げてます。



千葉城  1964(昭和39)年1月19日
「今は公園となって子供の遊び場となっている、本丸は小高い丘といったところに
あり、西に東京湾、東北に千葉市内で眺めも良い、昔を偲ぶのは苔むした
石垣があるのみ、本丸の中央に城址碑があるのみだ。」
城入口016.JPG城入口019.JPG

城登り口013.JPG石垣009.JPG

城址碑015.JPG
城址碑017.JPG
                                  
城址碑

本丸跡007.JPG本丸石垣008.JPG
左は本丸跡、右は本丸石垣

千葉開府記念碑010.JPG望む市街地011.JPG
左は開府記念碑、右は城跡からみた市街地

望む市街地012.JPG
城跡から見た市街地



江戸城  1964(昭和39)年3月22~23日
「本当は1日で回るつもりだったが、体調が悪く2日で回った、内掘に沿って
回ったが、どの門にも警官がいて中をのぞくことすらできない、そのくせ
管理は全然出来ていない史蹟としてどうなっているのだろうか。」
城址碑037.JPG柳之井戸034.JPG
左は城址碑ですが、普通この碑は城の入口か本丸にあるものですが、何故か
この碑は半蔵門と三宅坂の間の三宅坂寄りの歩道の脇にあります、右は柳の
井戸これはこの碑の近くにあります。

大手門010.JPG平川濠付近の石垣019.JPG
左は大手門でが、当時は渡櫓門はありませんでした、また、中に入ることも
出来ません、右は平河濠の石垣です。

平川橋036.JPG平川橋014.JPG
平河橋て゛す。

平川門013.JPG乾門024.JPG
左は平河門です、右は乾門です、この門は西の丸の裏門を移築したもので、この門
がなければ西の丸紅葉山入口の紅葉山山下門もいまはないので、西の丸まで、行く
ことができるので、明治になって新しく作った門です。

竹橋門碑033.JPG
竹橋門付近017.JPG



                      
左は竹橋門跡碑で右は竹橋門跡付近


三の丸005.JPG
和田倉門碑゜001.JPG
             
左は三の丸、右は和田倉門碑

和田倉橋002.JPG和田倉橋008.JPG
和田倉橋です。

清水門碑030.JPG
清水門031.JPG




清水門碑と清水門ですが、これは史蹟と言うより資材置場かゴミ置場のようです。

田安門026.JPG
田安門027.JPG



                                  
当時ここに何かがあったようで、関係者以外は入れなかったようです。

北桔橋門019.JPG北桔橋門023.JPG
北桔橋門021.JPG
北桔橋門、この時ははいれませんでした。

半蔵門039.JPG
半蔵門ですが、ここも資材置場になっています、この門明治の初め取り壊され
ました、高麗門も渡櫓門も壊されたのですが、ここから西の丸の吹上御所が
近いので急遽造られた高麗門です。

Scan.jpg
この写真は江戸城の大手門の変革を1枚のパネルにしました。
左上は明治4年撮影のもので東京国立博物館蔵です。
右上は上記と同じ昭和39年3月23日撮影。
左下は東北大震災で江戸城もかなり被害がありました、平成23年10月12日撮影
右下は現在の大手門です、平成19年10月21日撮影。



川越城  1964(昭和39)年4月5日
       1964(昭和39)年11月15日
この城はこの年に2度も行っている1度目は単独行動だったが、2度目は協会の
見学会でいきました。
「行って驚いた、表玄関(武徳殿)は唯一の現存する建物なのに、高校の物置と
なっている、城址は公園となっていて、校舎、グランドなどになっている。
貴重な遺構、文化財として保存出来ないのか。
歌で有名な"天神様の細道じゃ"の三好神社が本丸跡にある。」
「この春行ったばかりだけれど、何か新しい発見を期待したが、話は川越合戦の
話が主で収穫なし、お話は市の教育委員会の方だっただけに余計に残念。
この後城址を一回りとてから喜多院に行く、三代将軍家光の誕生之間、春日局の
化粧之間など、住職の説明で回った。」
これを読んでわかったのですが、一人で行ったときは、喜多院には行かなかったというより
喜多院の存在すら知らなかったようです、また協会の見学会の時写真を撮ったと思ったの
ですが、この写真もみあたりません。それで今回の写真は一回目の時のものです。

Scan-1_edited-1.jpg
川越城のパンフですが、どちらの時ものかわかりません。

川越城レジュメ.jpg
見学会のレジュメです。

城址碑010.JPG
城址碑011.JPG

城址碑です、今はこの位置にありません。

本丸御殿玄関006.JPG玄関式台009.JPG
表玄関と式台です。

玄関横塀008.JPG塀007.JPG
表玄関横です、後ろにみえるのが、学校の校舎です。

土塁からみた本丸016.JPG三好野天神参道004.JPG
左は土塁の上から見た本丸で、右は三好神社参道です。

富士見櫓跡033.JPG
富士見櫓跡002.JPG

                     
    
                      
富士見櫓跡です。

本丸土塁020.JPG
本丸土塁です。



佐倉城  1964(昭和39)年9月27日
この城も協会の見学会に参加しましたが。
「今日の講師の先生方の豪華さにはおどろいた、会長の井上氏、鳥羽先生、
市の史蹟編纂の篠丸先生、市長であり最後の城主堀田氏これらの方々が
説明されたが、多くの先生方の説明ではかえって頭に残っていない。」
と言うわけで、城については、何もかかれていない。

佐倉レジュメ.jpg
そのときのレジュメです。

佐倉城1964.9.27[1].jpg
そのとき協会に撮っていただいた写真です。

説明板010.JPG
城址碑009.JPG
                                  
左説明板、右城址碑です。

本丸跡011.JPG本丸跡005.JPG
本丸跡です。

堀016.JPG空堀006.JPG
左は堀、右は空堀です。

土塁008.JPG土塁003.JPG
土塁です。

城入口018.JPG
城入り口です。



岩槻城  1965(昭和40)年3月25日
この城も協会の見学会でいきました。助かったのは跡碑がなくても説明で
場所の名前が判ったことです。

岩槻レジュメ.jpg
レジュメです。

城址碑005.JPG
本丸跡011.JPG


                                 
                                  
城址碑と本丸跡です。

城門説明板016.JPG大手門017.JPG
門説明板と大手門です。

大手門015.JPG本丸土塁013.JPG
大手門と本丸土塁です。

二の丸跡003.JPG武具櫓跡004.JPG
左二ノ丸跡、右武具櫓跡です。

新曲輪跡006.JPG新曲輪跡008.JPG
新曲輪跡です。

竹沢曲輪跡002.JPG空堀014.JPG
左竹沢曲輪跡、右は空堀です。

 最近歳のせいか、根気がなくなり、今回のこれを書くのに20日もかかりました。
この現象の一つは現在左眼が加齢黄班になってからほとんど視力がないので、
疲れてしまうのも原因の一つかもしれません。
家族や友人たちに、そろそろ辞めたらと言われています、でもギブアップはしたくない
とおもいますが、いまだにほとんど毎日のように仕事の夢をみます。
体が許すなら仕事はしたいとおもいますが、・・・。

次回は天守のお話ですが、模擬、観光用をいれますと、それに個人的に造られた
ものや、天守もどきをいれますと驚く数になります。

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一昔前のお城の姿 2 [城・館・チャシ・グスク]

 前回は東北・北海道のお城でした。今回は関東の城ですが、写真が多いので、茨城、栃木、
群馬の城で、訪れた順に載せました。

 前回はお城の中の建物(民家)とか、城(史蹟)が民有地だったり等現在と違うものを
アップしましたが、今回は整備されていなかった、お城の姿をアップしました。


土浦城  1963(昭和38)年11月10日

 日本城郭協会の見学会に参加したときのものです。
土浦城集合.jpg
写真二列目中央に鳥羽正雄先生がおられます。
当時学生だった小和田哲男氏(現日本城郭協会理事長)、藤井尚夫氏(日本城郭協会
理事)、西ヶ谷恭弘氏(日本城郭史学会会長)、当時の学生部の方々がいらっしゃる
と思いますが、現在のお姿と変っていらっしゃるのでわかりません。
土浦城レジュメ.jpg
これが当時のレジュメ(B4)で裏に縄張り図が描かれてました、表の文は小和田氏で
裏の図は藤井氏が担当されていたみたいです。
でも当時はガリ版印刷なので大変だったろうと思われます。
当時の写真は全て白黒です。
城址碑003.JPG
太鼓櫓門013.JPG
                       



左は城址碑です、右は現存の太鼓櫓門です、この櫓門今は修築復元されている
そうです。

櫓009.JPG
櫓006.JPG
                                                  
櫓ですが、現在皆様が見られる櫓とちょっと違います、現在の櫓のほとんどが石垣の櫓台
の上にありますが、関東は石が少ないので木の足組みの上に建てられていますので、ちょ
うど土塁の上にあるようにみえます。

門005.JPG
門024.JPG
 
二ノ丸門ですが、これも現在修築復元されているそうです。

土塁・石垣・堀004.JPG土塁・石垣・堀018.JPG
土塁・石垣・堀です。

土塁・堀012.JPG堀010.JPG
左は土塁と堀で、右は土塁の上から見た堀です。



下野小山城 1964(昭和39)年4月29日
この城は中世の城なので、遺構もほとんどない中なにを根拠にこの城へ行ったかは
覚えていない。
それで、「城紀行」をみたところ「今でも空堀、土塁が残っている、・・・、この城も江戸時代
には廃城となっているが、一時は四つの支城を持つ城だった。・・・、城の要害利根川の
支流思川の対岸に渡り300mmの望遠でと三脚をたてていたら、人が集まってきた、ただ
望遠の試し撮りなのに、移動しょうとしてもぞろぞろついてくるのでそうそうにひきあげる。」
とあります、当時300mmの望遠はかなり高価(多分サラリーマンの月給の1.5ケ月分)ですか、
当時の望遠はズームでなくて単焦点でF 7 で絞りも今のレンズでいえば開放状態で手動での
設定でした。シャッタースピードも自分の勘と経験だったので、露出計を早く買いたいと思って
いました。

城入口001.JPG城入口002.JPG
城入り口と言うより本丸入口です。

説明板004.JPG本丸跡003.JPG
城説明板と本丸跡です。

土塁005.JPG
堀010.JPG
                                            

左は土塁で右は空堀です。

堀切007.JPG
堀切りです、左は二ノ丸右は本丸ですが、二ノ丸へは当時は入れませんでした。



宇都宮城 1964(昭和39)年4月29日
この城は上記小山城の後きました。
この城については、以前にも書きましたが、下記は「城紀行」よりの抜粋です。
「・・・。駅の構内に市の観光案内があったので、宇都宮城址(うつのみやじょうし)に行く
バス乗り場を聞いたところ?番線で宇都宮女子(うつのみやじょし)で降りたら目の前です
と言われ、さすが県庁所在地、城址が史蹟になっているのだ、と早合点し、車掌の「次は
宇都宮女子(うつのみやじょし)」で「降ります」と云って降りた目の前は宇都宮女子高等学
校の校門前ここで城址を小一時間さがしましたが、跡らしきとこはみあたらず、祝日の午後
歩いてる人もなく民家もなく、バス停で誰か来るのをまち、ようやく来られた方に「宇都宮城址
は」と「女子く目の前だ」ここでじょうし と じょし の聞き違いに気が付きました、ここから行け
ないこともないが、また間違えるかもしれないので、駅まで戻り、県庁に行くバスでといわれた。」
よく考えてみると、当時は城址など訪ねる人などいないので、当時東北線のダイヤは2時間
に1本ぐらいだったので、2城しか回れなかった。
ここらは当時の写真です、現在は櫓、塀などが復元されていますが、当時は堀以外
ありませんでした。

城址碑021.JPG説明板022.JPG
城址碑と説明板です。

城入口015.JPG本丸跡023.JPG
橋右に本丸橋と彫られています、右は本丸跡。

二の丸跡028.JPG土塁017.JPG
左は二ノ丸跡、右は二ノ丸土塁。

堀・土塁029.JPG堀025.JPG
土塁と堀です。



結城城 1964(昭和39)年5月3日
この城についても記憶はありませんので、「城紀行」より抜粋「結城駅より歩いて30分
いまは神社境内となっている城址、・・・、土木工事をしているが、城址は消えてしまう
運命か。ここも城址だったと思われる竹薮、空堀だけが、城の面影を遺している。」
とある

大手橋009.JPG本丸跡002.JPG
左は大手橋、右は本丸跡

二の丸跡017.JPG堀010.JPG
左二ノ丸跡(畑)、右空堀

土塁015.JPG堀008.JPG
左土塁、右空堀

土塁013.JPG
城内聡敏神社001.JPG

左土塁、右城内聡敏神社碑。



下館城 1964(昭和39)年5月3日
結城城の後この城に行きました、がこの城も記憶にないので「城紀行」より抜粋です。
「城址は市街地にあるため何も残っていない、本丸跡は水道局の浄水場となり、武家
屋敷跡は小学校となっている。が城主の菩提寺とお墓は立派でした。
本丸跡024.JPG堀023.JPG
左は本丸と右側に少し写っているのが、水道局右は堀

土塁021.JPG
藩主菩提寺018.JPG
                     
左は土塁、右は菩提寺山門前の碑。

藩主水谷家墓019.JPG
藩主水谷家の墓です。



笠間城 1964(昭和39)年5月3日
結城、下館と周り笠間城に着いたのが5時を回っていた、近くにいらしたお年よりに
笠間城をきいたら笠間城と言うラブホテルがあるらしく、そのご老人何を勘違いされ
たのか、1人でいっても泊めてもらえねえよ、といわれた。

本丸跡037.JPG二の丸跡032.JPG
左は本丸跡正面の美術館の建物今でもあるが、閉鎖されている、右は二ノ丸跡

本丸跡036.JPG大石邸説明板028.JPG
左は佐白公園(千人溜り跡)現在は駐車場となっています。大石邸の柏ですが、400年
も昔の樹木にはみえませんでした。

大石邸跡碑031.JPG
大石邸跡030.JPG
               
左は大石邸跡碑です、現在はもっと立派な碑でした。
右はその立て看板ですが、現在はありません。



水戸城 1965(昭和40)年5月23日
この城も日本城郭協会の見学会で行ったのだが、レジュメも集合写真もない、頼りになるのは
「城紀行」と写真だけ、城紀行のノートも2冊目です。「・・・、感じとしては中世の城郭、石はほと
んど使われてなく、門の枡形でさえ土塁だ本丸には水戸一高、二ノ丸には、三高、附属小学校
、私立二中があり、三の丸には弘道館、三の丸小学校、鹿島神社、県庁がある。武家屋敷など
は水戸駅をはじめ商店街になっている。・・・。」
と書かれているが城の遺構については何も書かれていない。

本丸表門跡008.JPG
本丸二の丸間の空堀006.JPG
                                                      
左は本丸表門跡、右は本丸二ノ丸間の空堀ですが、線路になっています。

二の丸表門跡014.JPG二の丸跡013.JPG
左二ノ丸表門跡、右二ノ丸跡です。

弘道館入口015.JPG弘道館碑016.JPG
弘道館です。

弘道館中019.JPG
弘道館の中002.JPG
                      
弘道館の中です。

弘道館玄関010.JPG弘道館玄関011.JPG
弘道館玄関です。

隅櫓跡010.JPG御前試合の庭020.JPG
左隅櫓跡、右は御前試合の庭です。

弘道館018.JPG弘道館の中008.JPG
左弘道館、右は弘道館の説明板です。

好文亭説明板013.JPG光圀誕生地碑003.JPG
左好文亭説明板、右は光圀誕生地碑です。

偕楽園庭園021.JPG
大日本史編纂の碑012.JPG
    
左偕楽園庭園、右は大日本史編纂の碑です。

 この写真で感じたことは、カラーと白黒の写真がありますが、この時も2台のオメラを
持っていったようです。でも当時のカラーはまだ経年変化が酷く劣化が酷いです。



前橋城 1970(昭和45)年6月28碑
この前橋と足す先は丁度下の倅がおなかにいて、しかも4月には大坂万博にも連れて
行かなかった娘(当時小4)が連れて行けというので連れていったので、城紀行には城
のことほとんど書かれてませんので、記憶もなくてわかりませんので写真だけを載せ
ます。

城址碑004.JPG
城址碑003.JPG
                                  
城址碑です。

大手門跡石垣005.JPG門009.JPG
左は大手門跡石垣、右は門です。

本丸跡006.JPG土塁上から本丸跡007.JPG
左は本丸跡、右は土塁から見た本丸です。



高崎城 1970(昭和45)年6月28日
前橋の後いったので、主役は娘だったので、後で後悔しました。

城址碑 021.JPG三の丸東門027.JPG
左は城址碑、右は三の丸東門です。

櫓030.JPG乾櫓029.JPG
櫓ですが、ここの櫓は前記土浦城の櫓のように柱の上でなく直接ですが
屋根が2段あるので二重櫓とみえますが、1重の屋根がなれれば、倉か
土蔵にもみえます、また、今にも崩れそうです。碑とのギャップがおおき
すぎます。


沼田城  1971(昭和46)年6月12日
この城の時も娘と一緒で、城廻りもこれで一時中断です、これからは子供が主と
なりますので、城紀行は孫が中学生になる頃まで少なくなりました。

城跡説明板021.JPG天守閣跡説明板020.JPG
左城説明板、右天守説明板です。

本丸跡030.JPG二の丸跡028.JPG
左本丸跡、右二ノ丸跡です。

空堀跡022.JPG
空堀跡です。


これで関東の城前半は終わりです、次回は関東の後半です。

月は昨年10月までに頂いていた情報ですが、これも今回で終わりです。


「東山魁夷展」
東山展.jpg
場所 東京富士美術館
期日 1月2日~3月4日


東京富士美術館





企画展
「ふるさとからのおくりもの」
ふるさとからのおくりもの1.jpg
ふるさとからのおくりもの2.jpg
場所 和歌山県立博物館
期日 1月27日~3月4日


和歌山県立博物館





企画展
「大田道灌と江戸」
大田道灌と江戸.jpg
場所 国立公文書館
期日 1月13日~3月10日


国立公文書館





企画展
「東京発掘」
東京発掘.jpg
場所 東京埋蔵文化財センター
期日 29年3月9日~20年3月11日


東京都埋蔵文化財センター





企画展
「蝦夷地域の戦国城郭」
蝦夷地域の戦国城郭.jpg
場所 いずみ郷土史料館
期日 12月16日~3月25日


いすみ郷土資料館





特別展
「城下町ヒストリー」
城下町ヒストリー.png
場所 高知県立紀伊増文化財センター
期日 10月14日~3月30日


高知県立埋蔵文化財センター





企画展
「岡本と東京緑地計画」
岡本と東京緑地計画.jpg
場所 世田谷区立岡本公園民家園
期日 7月1日~3月31日


岡本公園民家園




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犬公方・五代将軍 徳川綱吉 [城・館・チャシ・グスク]

 江戸城の史料を集めていると、色々と面白い事が集まります。小説にするような話、
お城のことより面白いので、脱線が続く日々です。

 今までに、15代将軍の死因・殿中の刃傷・3大仇討ち、など城に関係のないことを
書きました。

 今回は5代将軍綱吉についてです。
 何時の世も時の権力者の都合の悪いことは、公の史料には書かれてなく、○○家文書
などに、遠まわし的にかかれてあることがあります。でもそのほうが史実に近いかもしれ
ません。

 以前書いた江戸城の天守にしても、2代目天守の元和の天守についてもあいまいで
梅林坂近くの忠長邸が天守建造の邪魔だといって本丸から追い出していますが、元和
の江戸城図がないので、はっきりしませんし、慶長の天守(富士見多聞付近)と寛永の
天守(現在ある天守台の位置)の中間あたりにあったと、書かれてあるのもあります。

 ので史料から真実を見つけられないことのほうが、多いと思われます。

 何故綱吉を取り上げたかと言うと、問題が多かったのです。
1. 5代将軍になったいきさつ。
2. 跡継の件で水戸光圀との確執
3. 生類憐れみの令
4. 松の廊下刃傷事件
5. 生前での生母桂昌院への官位の授受
6. 武家諸法度の改正
7. 湯島聖堂での自らの講義

と話題の多かったお方だったので、深堀してしまいました。

 綱吉が将軍になったのは、運と老中堀田正俊のおかげでした。
 長兄家綱は11歳で将軍になりましたので、そして政務は重臣にまかせていました、
病弱のためか表にはほとんど出てきませんでした、家光には子どもは5男1女いましたが、
名前は3人だけしか出てきていませんので、多分早世だと思われます。
下の系図を見て下さい。
Scan.jpg

 長兄の家綱は4代将軍、次兄綱重は甲府藩、綱重は館林藩となりました
が家綱には跡継がいません、病弱な家綱より次兄綱重が死去しました。
 時の大老酒井忠清は宮将軍をと、111代天皇の子有栖川宮幸仁親王を将軍に迎え
ようとしていました、がこれに異を唱えたのは老中堀田正俊でした、正俊は病床の家綱に
弟の綱吉をと呼び出し、跡継に指名しました。

 将軍となった綱吉は酒井を解任し、堀田を大老にしました。
 外から見ていると兄の跡を弟が継いだのですから、自然のようにみえますが、重臣たちの
権力争いに巻き込まれた一人です。


 跡継問題は、6代将軍の時にも起きています。
 綱吉には1男1女の子がいましたが、徳松は5歳で死去しています、姫 鶴姫は紀州
徳川綱教に嫁ぎました、綱吉は綱教を6代将軍にしようとしましたが、これに異を唱えた
のが水戸光圀です、これで光圀との対立が強くなりました。
 ところが、鶴姫が死去したためこの話は消えて次兄綱重の子綱とよをするのが筋だ
と云ってた光圀の言うとおりになりました。
 綱とよは名を家宣と改め、江戸城にしの丸に入り、綱吉の死去によって6代目将軍に
なりました。

 綱吉の死亡には一般的にははしかによる窒息死と言われてますが、他にも諸説あり
ます。
 御奥廊下に歴代の将軍の位牌がある、御仏の間と宇治の間というのがあります。
下図参照
Scan-1_edited-1.jpg

 5代将軍綱吉の時代は、御台所信子(鷹司教平の娘)の御座の間でした、この御座の間
で信子に綱吉が殺されたと言う説もあります。
 多分このとき壁や襖に血が飛び散ったのではないでしょうか、襖、壁は全て宇治の茶摘
の絵に張替えられ、ここは宇治の間となり、開かずの間になり、御座の間は御仏の間の
奥になったそうです。
大奥図.jpg
大奥の図です、矢印の位置が宇治の間です。

 このほかにも怪談噺もありますが真実はわかりません。

 綱吉は中々の勉強家だったこともあって、光圀とは仲がよかったそうですが、徳松の死で
僧に尋ねたら生前の殺生によるものだと聞き、生類憐れみの令をだしました、今の時代で
したら動物保護で受け入れられたかもしれませんが、当時は不評でした、コレについて、
異を唱えていたのが、光圀です、光圀は水戸家の領内で犬狩りをし、その毛皮を綱吉に
送ったという逸話もあります。


 元禄14(1701)年正月、綱吉は晴れやかな気持ちで向かえました。
 それは目の上のこぶ光圀が12月12日に死去したからです、これで物事が自分の思い
通りに運べるようになったからです。

 このとき綱吉は生母桂昌院に従一位を贈ることでした、綱吉は吉良義央に、生前に
従一位は前例のないことを天皇家に話、3月11日には勅使が江戸に着き、予定通り
翌日から行事が始まり、14日は勅使に会う待ちに待った日でした。

 この時「松の廊下の刃傷事件」が起こってしまいました。
 綱吉はこのことを聞き、怒り心頭です、浅野に即日切腹を申し渡しました。が、赤穂浪士
の吉良邸討ち入りについては、忠臣だと褒めています。
 

 このほかにも、「武家諸法度」の第一条を改めてます。
旧 「文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事」    を
新 「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」
と、忠孝、礼儀を重んじろと、今で言う品格を持てといっています。

 また、自ら幕府学問所の湯島聖堂に行き、講義をしていたそうです。
この学問所は後の昌平坂学問所です。

また中野に「犬屋敷跡」があります。

 



これから先は前にも頂いているミュージアムの情報の2月限のものです。
昨年の10月からはお断りしていますので、それ以前に頂いたものだけです。


特別展
「立花宗茂と柳川の武士たち」
立花宗茂.jpg
場所 柳川古文書館
    立花家史料館
期日 12月9日~2月4日


立花家史料館





「合戦絵図の世界~語り継がれる戦国の「記憶」~」
合戦絵図の世界.jpg
場所 臼杵市歴史資料館
期日 12月6日~2月19日


臼杵市歴史資料館





「ボストン美術館の至宝」
ボストン美術館の至宝.jpg
場所 神戸市立博物館
期日 10月28日~2月4日


神戸市立博物館





「色ガラス芸術のパイオニア岩田藤七、久利」
色ガラス芸術.jpg
場所 新宿歴史博物館
期日 12月9日~2月25日


新宿歴史博物館




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5、60年前のお城の姿 1 [城・館・チャシ・グスク]

 明けましておめでとう御座います。
 旧年中は拙いブログに来て頂き大変有難う御座いました。
 今年も宜しくお願いします。

 
 城のニュースで始めたブログもだんだん違った方向へと行っているような気がします。

 今年は城の話にしますが、昨年の10月までに頂いたミュージアムの情報が今年の
4月頃までの分は載せていきます。

 日本城郭協会が7、8年前日本100名城を認定しさらに近年続100名城を追加して
お城ブームに火をつけました。

 江戸時代まであった城も明治になり廃藩置県で大名は貴族となり石高に応じて
爵位がきめられました。
 当時の庁舎もほとんどが城内にありましたので、今でも城内に役所やミュージアムが
あるところがかなりあります。

 その後町の発展に伴い城も破壊されていきました。
 
 戦時中は城が大本営になりましたが、大本営の場所は敵に悟られないために
めまぐるしくかわってました。
 今でも広島城には「大本営跡」が残っています。
IMG_2417.JPGIMG_2419.JPG
IMG_2418.JPG
上の写真は広島城に残ってるものです。

 明治になって城の建造物、天守、櫓、門などが破壊されてしまいました。

 昭和30年代になり町のシンボルか、観光用として多くの城跡に天守が造られて
きました。

 その当時のお城の姿のうち、今回は、北海道と東北の城で当時自分が訪れた城が
対象ですが、写真も撮れなかった城は残念ながら言葉ではいえないので省きます。




松前城 1964年8月3日
松前天守閣022.JPG松前天守閣023.JPG
天守の裏側です、当時大手門が閉じられていたのでこの位置の写真を撮るために
かなり遠回りしなければなりません、民家が数軒ありました。
松前搦手門・天守閣032.JPG松前太鼓櫓跡021.JPG
左は搦手門ですが、入館料はとらないので管理事務所だったような気がします、門左手
は民家です。
右は太鼓櫓跡ですが、民家がありました。
松前2-13-2011_020.JPG
松前角(隅)櫓跡020.JPG
           
左は御殿玄関ですが、松前小学校の玄関になっていました。
右は角(隅)櫓跡です、櫓のあった所には民家がありました。

 その後2001年8月2日に再び訪れましたが民家は近くになく、テーマパークになって
いました。






五稜郭 1964年8月3日
五稜郭郭内033.JPG
郭内ですが、当時公園となっていて、お店などがあり、タワーもありませんでした。
 その後2001年8月2日に訪れたときにはタワー(初代)ができてまして、タワー
から郭内がみえました。史蹟となり郭内の店はありませんでした。
今は箱館奉行所も復元され二代目タワーになっています。






八戸城 1964年8月4日
八戸城址碑009.JPG
八戸本丸跡005.JPG
                      
本丸跡が三八城(みやぎ)公園、普通の公園で城の遺構はここではみられません
なので、池、噴水、周りの民家で、碑がなければ城とは思えませんでした。
ここは再訪城していないので、現在は?です。







盛岡城 1964年8月4日
盛岡旭御門跡036.JPG
盛岡旭門口035.JPG
                     



                     
                      
本丸跡からちょっと外れるとこのような景色です、左は旭御門後は、民家になって
いて、、右はその門の右手です。
盛岡堀・土塁041.JPG
土塁の先の建物は県庁の職員宿舎が(城内には県庁などがある)

 ここも再訪城していないので、現在は?です。






九戸城 1964年8月4日
九戸城跡入口001.JPG
城入口ですが、城はこの路地を入った所です。
ここも再訪城していません。







仙台城 1964年8月7日
仙台馬場跡015.JPG
仙台二の丸跡003.JPG
            





左は馬場跡で右は二ノ丸後です、とくに二ノ丸後などは言われなければ、解り
ません。
 ここは2009年8月17日にきましたが、以前より酷く伊達政宗像しかなかったのに
逆に本丸にミュージアムや神社があり逆にガッカリしました。







一関城 1964年8月5日
一関本丸跡025.JPG
本丸跡ですが、右側に建物があります。
ここも来てませんので、現在はわかりません。







石巻城 1964年8月6日
石巻城入口001.JPG
石巻二の丸跡007.JPG
            





左は城入り口ですが、見たところ住宅地です、左は二ノ丸跡ですが、民家
等があります。
 2009年に仙台城、多賀城にきたのに寄りませんでした。




 


鍋倉城 1965年8月5日
鍋倉城入口009.JPG
鍋倉惣門跡012.JPG
                      
ここの記憶がないので、城紀行を開いてみたが、城については、「釜石線遠野駅前の
小山が城跡だが碑があるのみで何もない、本丸跡から市街地が一望できる。」としか
かかれていないが、面白いことが書かれてあった。
「盛岡を発ったのが5時を過ぎていたので、遠野に着いたのは9時を回っていた、
ひょっとして宿が取れないかと思い、乗った汽車の車掌に遠野に宿があるかと
尋ねたら、「遠野は市ですよ、宿屋くらいありますよ」と怒られてしまった」とある
がそれすら思いだせない。
左は城入り口ですが、路地のようです、右は惣門跡ですが、民家の中にあります。
鍋倉沢里屋敷跡022.JPG
澤里屋敷跡ですが、そばの民家と間違いそうです。
ここも再訪城していません。





秋田城 1964年8月1日
秋田大手橋013.JPG秋田本丸跡009.JPG
左は大手橋ですが、その先は右の写真の通りただの広場と言う感じ、そして本丸に
民家があります。
 ここもその後行ってません。





久保田城 1964年8月2日
久保田厩跡004.JPG
厩跡です、民家やら色々あります。
 この城については、3年くらい前、突然テレ朝からメールがきて、自分がブログに
載せた昔の窪田城の写真を使わせて欲しい、また久保田城についてお聞きしたい、
とあったので、電話、メールなどでお話し、城図、写真を撮った場所、写真をDVDに
コピーして送ったのですが、話とは大違いで、ふざけた番組に使われました、文句
をいいたくて電話してもいない、電話をくれといってもなしのつぶてでした。
ここも行ってませんが、何か建造物があったような写真を見た気がします。




寒河江城 1964年7月30日
寒河江本丸跡034.JPG寒河江二の丸跡010.JPG
中世の城跡なので何も遺構らしきものはありませんが、左は本丸跡で現在は
学校の校庭で右ま二ノ丸後ですすが、言われなければ解りません、ここの学校の
阿部校長、二ノ丸後にある教育委員会の方、そして郷土史家の嶋先生には
色々教えて頂きました。
寒河江城址碑035.JPG
校庭の前にある城址碑です。
ここはその後2年にわたり数回きています。





松峰城 1964年7月31日
松峰城門碑014.JPG
松峰城門碑015.JPG
                      
左右ともに門碑です、建物の横にあります。
松峰土塁020.JPG
土塁が建物に囲まれています。
ここもその後来ていません。





鶴岡城 1964年7月31日
鶴岡門033.JPG
城門が致道館の門になっていました。
ここもその後来ていません。





亀ヶ崎城 1964年7月31日
亀ヶ崎土塁028.JPG
亀ヶ崎藩主志村氏菩提樹碑025.JPG
                                            
左は土塁前の民家です、右は藩主の菩提樹碑ですが、民家の前にあります。
亀ヶ崎大手口033.JPG
大手口ですが、普通の町の通りと変りません。
ここもその後来ていません。





本荘城 1964年8月1日
本荘二の丸跡002.JPG本荘本丸登り口003.JPG
左の本丸跡に建物や残土置き場になっています。右は城入口の左側に
民家があります。
ここもその後来ていません。





新庄城 1964年7月31日
新庄城跡説明板019.JPG
本丸跡にある説明板ですが、その後ろは公衆電話です。
ここもその後来ていません。





会津若松城 1965年7月30日
会津干飯櫓跡より天守鉄御門42-5.jpg会津不明門跡43-1.jpg
左は復元中の鉄御門と天守ですが、門の手前に建物があります。右は不明門跡
ですもんの周りは民家です。
その後2014年8月27日に行きました整備されていました。





二本松城 1965年7月30日
二本松本丸口43-14.jpg二本松本丸跡43-17.jpg
左天守台左側上に建物があります、右天守台に住宅があります。
二本松天守台跡43-16.jpg
これも天守台跡ですが、建物があります。
ここも2014年8月26日に来ましたが建物は撤去されていました。





相馬中村城 1964年8月8日
相馬中村黒橋035.JPG相馬中村三の丸跡036.JPG
左黒橋の奥に建物があります。右二ノ丸跡にも建物があります。
ここもその後行ってません。





平城 1964年8月8日
平堀跡008.JPG
堀跡に何の建物だろう
この平は外注さんがあったので何回か行ってますが、このとき復興に賛否が
あって、反対派の人に追っかけられた怖い思いがあるので行きませんでした。





三春城 1965年7月31日
三春御殿跡44-2.jpg
御殿跡が校庭になっていました。
その後は行ってません。



小峰城 1964年8月7日
白河本丸跡003.JPG
本丸跡は広場となっていてブランコなどがあった。
2014年8月28日にいきましたが、東日本大震災の修復中で入れなかったのですが、
多分整備されていると思った。





ここまでが、東北・北海道の城址ですが、この今昔が執筆を言われた
きっかけです。
 今年は江戸城の踏査をしたいと思っています。

 今年も宜しくお願いします。



 
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展示会のお知らせ 32 [城・館・チャシ・グスク]

 今年も後僅かになりました。ブログを始めてから12年になります。今のソネットに変る前
はジャストネットでした、ジャストネットの時はブログはありませんでした。当時はメンバーも
少なくE-mailとホームページだけでしたが、メールもパソコン上なので送られてくるメールは
ジャストネットだけからただったので、ジャストネットがメールアドレスまで作ってくれました。
 下はジャストネットが作ってくれた(1995年頃)、Email名詞です。
ジャストネット名詞.jpg
当時はインターネットは電話回線を使ったモデムでした、当時PC(パーソナルコンビューター)
は日本では(1982年頃)NECとシャープだけでした、NECは6000タイプと8000タイプの
2機種でシャープはこれもK4EタイプとBM2の2機種でした、マイクロプロセッサーも80286
でした。OSもベーシックが主流でしたが、そしてこれもケ゜ームが占められていました。
何故なら、パソコンの使い方が判らないというのが本音でした。
その後マシン語がでてきましたが、ベーシックよりは早くなりましたが。
プログラムもcnfg.sysとオート.batの変更でプログラムの設定がかえられたので、自分的
には使いやすかったのですが。


 自分もこれからはコンビューターの時代だと思い倅に買ってやったところ、
毎日友達が数人来てたそうですが、最後には20人も連れて来るようになったので使用
は土日だけにしました。当時のPCは不揮発性のメモリーがなく、起動毎にOSを読み込
ませなくてはならないので、電源を入れっぱなしにしていたら、電気代が倍になったので
東京電力が心配して調べに来てくれました。

 その後80386、80486の機種がでてきて、東芝、松下、日立、富士通、エプソン、
日本IBMなどが参入してきました、NECも上位機種の9000をだしました。
 このときNECは80486のH98を発売しました、このH98はハイレゾ仕様で、漢字ボード
モデムボードなどが内臓されていのしたので、価格がべらぼうに高く自分が買った価格
は98万円でした、ちなみに80386のポピュラーの機種は5~7万円でした。
何故こんな高いものを買ったかと言うとCADで図面をかいたり、売り上げ在庫などの
管理表を作ってました。PC-CADはハイレゾ仕様のためモニターもハイレゾ仕様にしないと、
作動しません表示は0.01mmまで設定できました。今のAuto Cadは0.001まで設定
できます。

 当時はまだオフィスはありませんのでワードは一太郎、集計表はロータス123と
データーベースは桐をCADは今のオーとデスクはなく、PC-CAD(大塚商会+NEC)
を使ってました。
OSはMS-DOSのVer.2.2 3.0 3.3 5.0 6.0、となりその後は皆様ご存知のように
ウインドウズの3.0 3.1 95 98 2000 Mi XP Vist 7 8 10になりました。
インターネットはW3.0でモデム内臓でないと使えませんでしたが、H98で使って
ました。
 それが2002年にジャストネットがソネットになりました。
下はそのときのものです。
ジャストネットから
ジャストネットから移行.jpg
ソネットから
ソネットへ移行.jpg
です。
ホームページは1996年シャストネットに進められ作ったのが、海外の美しい風景
の写真でした。
当時HTML文などは知らずジャストネットのフォームを使いますので、自分でも簡単に
出来ましたし、HPがなんだか解らないままで作ってましたので、毎年更新するものだと
思っていましたので、
1996年  海外の風景写真
1997年  大河ドラマ「毛利元就」にちなんで、「毛利・吉川・小早川の城」
1998年  大河ドラマ「徳川慶喜」ですが、徳川・松平の城は全国にあり、また、
       移封、改易、断絶、没収などがあるので時間的に調査不可のため
       「日本の城」シリーズで「北海道の城」です。下記がその一部です。
北海道の城.jpg
1999年   「陸奥国1」で青森県の城。下がその一部です。
陸奥の城1.jpg
2000年   「陸奥の国2」で岩手県の城でしたが、ここでストップしてしまい、更新は
        していません。

 パソコン歴は0978年からですから39年になりますが、当時は40代でったので或る程度は
理解できましたが、今は全然駄目です、当時は倅に教えていたのに今は倅に教えて
もらう有様、(倅は大手コンビューター会社に勤めてます)

 今年は2、3、5、9、10、11、12月と7回も肺炎を患い咳、痰、熱に悩まされ、
(肺気腫の人はなりやすいそうです)6月にはカテーテルの検査と、自信が
ぐらついています。

 今年も拙いブログに来ていただき大変有難う御座いました。
 来年も頑張るつもりです、来年も宜しくお願いします。

 良い年をお迎え下さいませ。


 ここからは10月には断ってますが、それまでに頂いている情報をお知らせ
します。



「ゴッホ」
ゴッホ.jpg
場所 東京都美術館
期日 10月24日~1月8日


東京都美術館






企画展
「戦国の井伊谷」
戦国の井伊谷.jpg
場所 浜松市地域遺産センター
期日 2017年1月16日~2018年1月14日


浜松市地域遺産センター





企画展
「えどがわ大相撲展」
大相撲展.jpg
場所 しのざき文化プラザ
期日 9月9日~1月14日


しのざき文化プラザ





「エルミタージュ美術館」
エルミターシュ美術館.jpg
場所 兵庫県立美術館
期日 10月3日~1月14日


兵庫県立美術館





企画展
「南葵音楽文庫」
南葵音楽文庫.jpg
場所 和歌山県立博物館
期日 12月3日~1月21日


和歌山県立博物館





企画展
「地図を広げて」
地図を広げて.jpg
場所 植村冒険館
期日 9月15日~1月24日


植村冒険館





企画展
「北斎とジャポニスム」
北斎とジャポニスム.jpg
場所 国立西洋美術館
期日 10月21日~1月28日


国立西洋美術館





特別展
「河内鋳物の誇りⅣ」
河内鋳物師の誇り.jpg
場所 堺市立みはら歴史博物館
期日 11月5日~1月28日


堺市みはら歴史博物館





「〈白書院〉の水墨山水図」
場所 二条城収蔵館
期日 11月21日~1月28日


二条城





「セーヴル、創造の300年」
セーヴル創作300年.jpg
場所 サントリー美術館
期日 11月12日~1月28日


サントリー美術館



 
   
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展示会のお知らせ 31 [城・館・チャシ・グスク]

 ミュージアムの情報がいままで送って頂いたものがありますので、現在までに頂いて
いる中で12月限のものた゜けお知らせします。



シンポジウム
「縄文と弥生」
縄文と弥生.jpg
場所 東京国際交流館
期日 12月2日 9:15~17:00


東京国際交流館

国立歴史民俗博物館





「国際宇宙ステーションからのながめ」
宇宙ステーション.jpg
場所 東大和市立郷土博物館
期日 9月16日~12月3日


東大和市立郷土博物館





「遥かなるルネサンス」
遥かなるルネサンス.jpg
場所 東京富士美術館
期日 9月21日~12月3日


東京富士美術館





「中国陶磁」
中国陶磁.jpg
場所 大阪市立東洋陶磁美術館
期日 9月23日~12月3日


大阪市立東洋陶磁美術館





「日野用水開削記念特別展」
日野用水開削る.jpg
場所 日野市立新選組のふるさと歴史館
期日 9月30日~12月3日


日野市立新選組のふるさと歴史館





「絵画の愉しみ、画家のたくらみ」
絵画の愉しみ1.jpg
絵画の愉しみ2.jpg
場所 京都文化博物館
期日 10月3日~12月3日


京都文化博物館





「高松塚古墳を掘る」
高松塚古墳.jpg
場所 飛鳥資料館
期日 10月6日~12月3日


奈良文化財研究所 飛鳥資料館





企画展
「小さな古墳の物語」
小さな古墳の物語.jpg
場所 高崎市観音塚考古資料館
期日 10月7日~12月3日


高崎市観音塚考古資料館





企画展
「佐野の城館跡」
佐野の城館跡.jpg
場所 佐野市郷土博物館
期日 10月7日~12月3日


佐野市郷土博物館





特別展
「天下泰平と高槻城」
天下泰平と高槻城.jpg
場所 しろあと歴史館
期日 10月7日~12月3日


しろあと歴史館





企画展
「19世紀日本の風景」
19世紀の日本の風景.jpg
場所 貨幣博物館
期日 10月14日~12月3日


貨幣博物館





特別展
「大崎・五反田」
大崎・五反田.jpg
場所 品川歴史館
期日 10月8日~12月3日


品川歴史館





特別展
「徳川家康と天海大僧正」
徳川家康と天海大僧正.jpg
場所 川越市立博物館
期日 10月14日~12月3日


川越市立博物館





特別展
「幕末の備中松山藩とそれを支えた人々」
幕末の備中松山城.jpg
場所 高梁市歴史美術館
期日 10月21日~12月3日


高梁市歴史美術館





特別展
「青銅の鐸と武器」
青銅の鐸と武器.jpg
場所 安土城考古博物館
期日 10月21日~12月3日


愛知県安城市歴史博物館





特別展
「季節のうた」
季節のうた.jpg
場所 文京ふるさと歴史館
期日 10月21日~12月3日


文京ふるさと歴史館





「木島櫻谷」
木島櫻谷.jpg
場所 泉屋博古館
期日 10月28日~12月3日


泉屋博古館





企画展
「甲府徳川家」
甲府徳川家.jpg
場所 山梨県立博物館
期日 10月7日~12月4日


山梨県立博物館





企画展
「カナダ先住民の文化の力」
カナダの先住民の.jpg
場所 国立民俗学博物館
期日 9月7日~12月5日


国立民俗学博物館





企画展
「渋沢栄一パリ万国博覧会へ行く」
渋沢栄一.jpg
場所 渋沢史料館
期日 9月9日~12月10日


渋沢史料館





「有元利夫展」
有元利夫.jpg
場所 大山崎山荘美術館
期日 9月16日~12月10日


大山崎山荘美術館





企画展
「緑川東遺跡出土石棒展」
緑川東遺跡出土.jpg
場所 くにたち郷土文化館
期日 10月7日~12月10日


くにたち郷土文化館





企画展
「無数の問いの噴出の時代」
無数の問いの噴出.jpg
場所 国立歴史民俗博物館
期日 10月11日~12月10日


国立歴史民俗博物館





「奈良西大寺展」
奈良西大寺.jpg
場所 山口県立美術館
期日 10月20日~12月10日


山口県立美術館





特別展
「宮津という地に居城を拵え」
宮津という地に居城.jpg
場所 京都府立丹後郷土資料館


ふるさとミュージアム丹後





特別展
「石川組製糸ものがたり」
石川組製糸.jpg
場所 入間市博物館
期日 10月21日~12月10日


埼玉県入間市博物館





企画展
「鳥・酉・禽・トリ」
鳥・酉.jpg
場所 大和市つる舞の里歴史資料館
期日 10月24日~12月10日


大和市つる舞の里資料館





特別展
「伊勢物語のかがやき」
伊勢物語.jpg
場所 国文学研究資料館
期日 10月11日~12月16日


国文学研究資料館





市民講座
「武蔵大石氏と北条氏照の入嗣」
武蔵大石氏と北条氏照.jpg
場所 八王子市生涯学習センター
日時 12月17日 PM 2:00~4:00


八王子市生涯学習センター





「黒崎築城と黒崎宿の繁栄ー城下町から宿場町へー」
場所 北九州市立埋蔵文化財センター
期日 8月22日~12月17日


北九州市立埋蔵文化財センター





特別展
「九州の民藝」
九州の民芸.jpg
場所 大坂日本民芸館
期日 9月9日~12月17日


大坂日本民芸館





特別展
「桃源郷はここ」
桃源郷はここ.jpg
場所 MIHO MUSEUM
期日 9月16日~12月17日


MIHO MUSEUM





「怖い絵展」
怖い絵.jpg
場所 上野の森美術館
期日 10月7日~12月17日


東京・上野の森美術館





企画展
「考古資料展」
考古資料.jpg
場所 玉川大学教育博物館
期日 10月16日~12月17日


玉川大学教育博物館





特別展
「鳥取の工芸文化」
鳥取の工芸文化.jpg
場所 明治大学博物館
期日 10月19日~12月17日


明治大学博物館





特別展
「日本刀の美と歴史」
日本刀の美と歴史.jpg
場所 宮崎県総合博物館
期日 10月21日~12月17日


宮崎県総合博物館





特別展
「鏨の華」
鍔の華.jpg
場所 根津美術館
期日 11月3日~12月17日


根津美術館





特別展
「象山」
象山.jpg
場所 象山記念館
    真田宝物館
期日 9月6日~12月18日
    9月20日~12月18日


象山記念館

真田宝物館





「長谷寺縁起絵巻」
長谷寺.jpg
場所 観音ミュージアム
期日 9月28日~12月18日


長谷寺観音ミュージアム





特別展
「信長公に学ぶおもてなしの心」
信長公に学ぶ.jpg
場所 長良川うかいミュージアム
期日 10月25日~12月18日


長良川鵜飼伝承館





「攻略せよ ! 脇本城跡 ! 」
男鹿市ジオパーク.jpg
場所 男鹿市ジオパーク学習センター
期日 9月4日~12月22日


ジオパーク学習センター





「横尾忠則 HANGA JUNGLE」
横尾忠則.jpg
場所 横尾忠則現代美術館
期日 9月9日~12月24日


横尾忠則現代美術館





特別展
「小田原北条氏の絆」
小田原北条氏の絆.jpg
場所 小田原城天守閣
期日 10月1日~12月24日


小田原城





企画展
「明治錦絵と砂目石版画」
明治錦絵.jpg
場所 がすミュージアム
期日 10月20日~12月24日


GAS MUSEUM がす資料館





企画展
「富松城と戦国時代の尼崎」
場所 尼崎市立文化財収蔵庫
期日 10月21日~12月24日


尼崎市立文化財収蔵庫





「東海大土偶展」
東海大土偶.jpg
場所 豊橋市美術博物館
期日 11月3日~12月24日


豊橋市美術博物館





「発掘された日本列島2017」
日本列島2017.jpg 
場所 安城市歴史博物館
期日 11月18日~12月24日


愛知県安城市歴史博物館





「お城EXPO」
城EXPO.jpg
場所 パシフィッコ横浜
期日 12月22日~12月24日


日本城郭協会





企画展
「戦争を生き抜いた18人の語り部」
18人の語り部.jpg
場所 平和祈念展示資料館
期日 9月26日~12月27日


平和祈念展示資料館





企画展
「隔離のなかの食」
食.jpg
場所 国立ハンセン病資料館
期日 9月30日~12月27日


国立ハンセン病資料館





企画展
「徳川家康」
場所 国吉城歴史資料館
期日 10月21日~12月28日


若狭国吉城歴史資料館



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蝦夷地の城 チャシ [城・館・チャシ・グスク]

 以前「ばんさん」そして今回「ちょいのりさん」から「チャシ」についてお話がありました。
 チャシ=アイヌの城と一般的に言われていますが、城の定義。

「敵の攻撃を防御する、要塞」と言われています。

 アイヌについての文献資料が少なく、解明されていない、発掘調査でも新しい発見はありません。

日本の城を分類するときに大きく分けて、

年代による分類

地域による分類

土木形式による分類

建築様式による分類

戦術的な分類

  等々に分類されます、そして敵の攻撃を防御するとあります。

 系列よる分類では
環濠集落
柵城(キキ)
チャシ
神籠石(こうごいし)
稲城
茨城
グスク
陣屋


などが城として書かれてます、チャシも城としてあります。
これらのなかで、神籠石については城とも、神社とも言われています、ほとんどが、
中国・市国・九州で発見されています。


環濠集落については復元されているところがあります。
下の写真は2010年3月2日に撮った大塚環濠です。
IMG_5198.JPGIMG_5208.JPG                                                                                      






                                                                                                                                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
                                                                   

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       


                                                                  
                  
IMG_5199.JPGIMG_5203.JPG                 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
                  
この右下の写真を見て下さい、土塁の上に柵がありその内側に堀があります、城のイメージでは
土塁(石垣)の外側が堀なので逆ですね。

次は吉野ヶ里遺跡です、2004年9月9日に撮ったものです。
IMGP0204.JPGIMGP0196.JPG
IMGP0137.JPGIMGP0260.JPG
IMGP0119.JPGIMGP0195.JPG
この環濠も内側に堀があります、外敵の攻撃を防御するなら土塁・柵の外側に堀を
設けると思われたとおもいます。
 自分も疑問に思いある先生にお聞きしたことがあります、この先生私説だが、弥生時代は、
弥生人同士または縄文人同士で争った痕跡が見つかっていない、多分この外敵とは、人
ではなく猛獣ではなかったのではないか、例えば上の写真にあるように、猪や熊、猿、オオカミ
ではないか、柵をよじ登って乗り越えた先の濠、この濠は泥水のため足をとられている間に
敵を攻撃するのでは、と云っておられた。

 では、チャシの機能は
1.戦闘用の砦
2.祭祀場(聖域)
3.談合用の会議場
4.サケ漁などの資源監視用の見張り台
 これだけだとイメージが出来ないかもしれませんので、
Scan-2.jpg
このイラストは「日本の城の基礎知識」井上宗和著(日本城郭協会初代会長)の中の
チャシの形体です。
下の図は日本城郭全集に載っているチャシです。
Scan.jpg
Scan-1.jpg
 これらを見てこんなもので防御できるのとお思いでしょう。

 アイヌの人が戦争をしたのは、「コシャマインの乱」、これは、嘉吉元(1441)年から長禄
7(1457)年までの大和人とアイヌの人との戦争で、アイヌ人同士での争いの文献は
見つかってません。

アイヌについては、
「札幌博物学学会報」1906年、河野常吉が「チャシ即ち蝦夷の砦」
「人類学雑誌」1918年、阿部正巳「北海道のチャシ」
「日本石器時代の提夢」1929年、中谷治宇二郎は「蝦夷の砦」
と研究はされていますが、進んでいないようです。

 では、チャシはどのくらいあったのでしょうか、北海道教育委員会が、昭和48(1973)年
からの調査では約340基のチャシが確認されました、その後日本城郭大系では576基
のチャシが載っています。

 自分はまだほとんど解明されていないチャシを何故100名城にしたのでしょうか?。

  今後も調査はされると思いますが、このチャシは自然の地形を利用した、地域による
分類がほとんどなので、発見されにくいとおもいます。

 昭和3年に庁立小樽中学校の生徒6名によって創立された「忍路(おしゅろ)郡考古学研究会」
の会員の1人室谷精四郎が、昭和四年十月一日号の河北新報の学芸欄に載せた「東北の
古城址と北海道のチャシとの関係」の中で試みた分類があります。
 室谷はこれを執筆したとき、東北帝国大学の学生でした、その中で彼はチャシを、
1.段丘式
2.丘先式
3.半月形式
4.三角形式
の四つに分けています、立地分類と構造的分類が混乱しています。

 現在、チャシ調査で一般的に流布されている分類は下の四分類で、河野広道が、これまでの
説をまとめ提唱したものです。「網走市史」(昭和33年)
1..丘先式チャシコツ
2.面崖式チャシコツ
3.丘頂式チャシコツ
4.孤島式チャシコツ
これは上のチャシの形体の図です。

チャシについては先にも述べましたように文献史料がほとんどなく、あまりチャシの説明に
ならなかったとおもいます。


 これは、私事で大変恐縮ですが、自分も傘寿を過ぎ、体力的にも自信がなくなり、
肺気腫のせいか、ちょっと歩いただけで、はあはあと息があらくなります、また、目
のほうも緑内障で視野が狭いところ、加齢黄班で左目はめがねをかけて0.01以下
つまり左目はほとんど見えない状態です、で、本はこの2年ほとんど読んでいません
またこのブログを書くのもすすみません、現在週間隔の更新でしたが、今後不定期
になると思いますが、宜しくお願いします。





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第64回文化財保護強調週間 [城・館・チャシ・グスク]

 毎年文化の日をはさんだ、11月1日~7日は文化庁の協力により、文化財の特別公開、
博物館などでの特別展が催されますが、下の関連行事の発表は10月の20日頃です、掲載
されているのは年度なので、今年の4月から来年の3月までが、ほとんどです。
 これでは今年の4月から9月限までの催しは観ることができません。


下はその関連行事の都道府県別のものです。
しかし、今回はまだ発表されていません(10/16)、それはこの6県まだ出来ていません。
岩手県、宮城県、埼玉県、千葉県、鳥取県、宮崎県です。発表されたら表示できるように
してありますので、多分23日頃だとおもいます。
皆様のお住まいの都道府県名をクリックするとミュージアムの催しの一覧が表示されます。


01 北海道

02 青森県

03 岩手県

04 宮城県

05 秋田県

06 山形県

07 福島県

08 茨城県

09 栃木県

10 群馬県

11 埼玉県

12 千葉県

13 東京都

14 神奈川県

15 新潟県

16 富山県

17 石川県

18 福井県

19 山梨県

20 長野県

21 岐阜県

22 静岡県

23 愛知県

24 三重県

25 滋賀県

26 京都府

27 大阪府

28 兵庫県

29 奈良県

30 和歌山県

31 鳥取県

32 島根県

33 岡山県

34 広島県

35 山口県

36 徳島県

37 香川県

38 愛媛県

39 高知県

40 福岡県

41 佐賀県

42 長崎県

43 熊本県

44 大分県

45 宮崎県

46 鹿児島県

47 沖縄県




下は東京都の「東京文化財ウィーク」です。
左は通年公開のもので、右は特別公開や企画展などが掲載されています。
このガイドは東京都のミュージアムに置いてありますので。
東京文化財ウィーク.jpg


ここからは、11月限です。現在までに入手出来た情報です。


企画展
「今晩なに食べる」
今晩なに食べる.jpg
場所 多摩六都科学館
期日 10月21日~11月26日


多摩六都科学館





「浮世絵にみる子どもたちの文明開化」
浮世絵にみる子どもたち.jpg
場所 町田市立国際版画美術館
期日 10月7日~11月23日


町田市立国際版画美術館





特別展
「志士のかたち」
志士のかたち.jpg
場所 茨城県立歴史館
期日 10月7日~11月23日


茨城県立歴史館





特別企画展
「辰五郎と滋の見た明治の衣生活大転換」
大転換.jpg
場所 東京家政大学博物館
期日 10月19日~11月24日


東京家政大学博物館





講演会
「王権は移動したか」
王権は移動したか.jpg
日時 11月25日12:00~
場所 よみうり大手町ホール
事前申込みが必要です。


よみうり大手町ホール

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館





特集展示
「清親と安治」
清親と安治.jpg
場所 すみだ郷土文化資料館
期日 9月16日~11月26日


すみだ郷土文化資料館





特別展
「福生むかし絵Ⅱ」
福生むかし絵.jpg
場所 福生市郷土資料室
期日 9月23日~11月26日


福生市郷土資料室





企画展
「東海土器子十三次」
東海土器.jpg
場所 静岡市立登呂博物館
期日 9月30日~11月26日


静岡市立登呂博物館





特別展
「民権家の創作と精神世界」
民権家の創作.jpg
場所 町田市立自由民権資料館
期日 10月7日~11月26日


町田市立自由民権資料館





企画展
「阿部正武と徳川綱吉」
阿部正武と徳川.jpg
場所 行田市郷土博物館
期日 10月7日~11月26日


行田市郷土博物館





特別展
「黒塚古墳のすべて」
黒塚古墳.jpg
歯所 橿原考古学研究所附属博物館
期日 10月7日~11月26日


奈良県立橿原考古学研究所附属博物館





特別展
「石井桃子」
石井桃子.jpg
場所 杉並区郷土博物館
期日 10月7日~11月26日


杉並区立郷土博物館





特別展
「禅文化」
禅文化.jpg
場所 高知県立歴史民俗資料館
期日 10月14日~11月26日


高知県立歴史民俗資料館





「王朝の物語」
王朝の物語.jpg
場所 日本大学文理学部資料館
期日 10月23日~11月26日


日本大学文理学部資料館





特別展
「皇室の彩」
皇室の彩.jpg
場所 東京藝術大学大学美術館
期日 10月28日~11月26日


東京藝術大学大学美術館





特別展
「池田修三木版画展」
池田修三木版画.jpg
場所 幕末と明示の博物館
忌日 10月21日~11月28日


幕末と明治の博物館




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