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東町城 [城・館・チャシ・グスク]

  聞きなれない城だとお思いでしょうが、昭和になってからは「神岡城」と言われて
います、どちらもマイナーな名前なので、何故かと言うとこの城は「高原諏訪城」
の支城の一つにすきないし、古文書などの史料はほとんどないため、伝承が
史料としてなので、史料としては3級です。
 ここによったのは金沢に行く途中、懐かしい名前だったので、と言うのは以前
書きましたように、昭和30年代炭坑や鉱山で使うボーリングの機械を作ってい
た関係で何回かこの三井金属鉱業神岡鉱業所にきた覚えがあったからです。
自分も当時の印象が薄かったからか、ほとんど記憶に残っていません。
 当時はたしか鉱山の町というかんじだったとおもいます、面影、記憶は
全てZEROです。何故ならここでは機械を買ってもらえませんでした。
その後この仕事を辞めてから、高岡の継手メーカーに洩れ検査機や金沢の
会社の立体駐車の車のパレットの製造のラインの電装を担当したり、
また、次弟が金沢に引っ越したので、時々近くを通ってました。

 寄ったのは9月29日の午前9時頃だったと思いますが、雨が降っていたのと、
金沢に11時までに着くめ小1時間の探訪でした。

 まず神岡の名の由来からです、これも神岡城になったことも関係があるので、
説明します。
 奈良時代この辺の山から金が産出されており、神の岡と言う意味で神岡と
通称名で呼ばれていました、この地は正式には飛騨国吉城郡高原郷の神岡
と通称名で呼ばれてましたが明治8年に神岡村と呼ばれるようになりましたが、
明治22年に船津町、袖川村、阿曾布村に分裂し神岡村はなくなりますが、
鉱山は神岡鉱山の名を使ってました、しかし昭和25年再び合併して神岡町と
なりました。何故分裂、合併をくりかえしたかは、不明です。
 ですから神岡はもともとの地名ではなかったのでまた武将の名でもなかった
と正式に神岡村になったのは明治8年です、築城されたという永禄7年にはこの
名前がありませんでしたので、東町城、沖野城、野尻城と呼ばれていたと思われ
ます。
 それよりもこの坑内に地下1000メートルのところにある、ニュートリノの
実験装置が設置されています。

 地名、城名についてはこんなところです、がこれも伝承が主で1級の史料が
でてくれば、うれしいのですが・・・。

つぎに神岡町のにははっきりと、日本城郭大系(昭和54年発行)、日本城郭全焼
(昭和41年発行)、探訪日本の城(昭和53年発行)などの城郭研究の権威の諸
先生方が監修されている書籍から抜粋しました。
神岡町の城.jpg
この神岡城(東町城)(太枠)は上の高原諏訪城(江馬城)の支城です、どの書籍にも
東町城とあります、(日本城郭全集の欄に●をつけるのを忘れていますが、全て東町
城です。
 市では史蹟として江馬氏城、下館跡を公園としてパンフをだしています。
江馬氏パンフ.jpg
これがパンフの説明です、一言も神岡城の名は出て来ません。

DSCF3925.JPG
DSCF3926-1.jpg
DSCF3928.JPG
この写真の左上は神岡町のマップですが、肝心の岡城の部分が切り取られ
ています、しかし上右の写真はこの案内板の右の部分を拡大したものです。
下はその案内板の右下に神岡城と言う標識があります、だとすれば、この案内板は
神岡城を位置が基準の案内板のはず、しかし神岡城の部分が切り取られてしまって
います。
 しかもこの案内板、どこがだしたかわかりません、市の観光協会なのが、市なのか
書かれてありません、しかも案内板右と案内板右下に神岡城とあります。
 しかもこの説明板には復元と書かれてあります、がこの東町城には天守があったと云
う史料は見つかってませんし、またこの城は中世の天守がなかった時代です。
 この3枚の写真を見た方は昔からあった城だと思ってしまいます。

DSCF3931.JPGDSCF3933.JPG
これは別の場所にある町の地図です。

DSCF3938.JPGDSCF3966-1.jpg
左は碑で、右は東町城の説明板で市の教育委員会が書いたものですので、一応は
信頼できます。
 この説明板にもちょっと矛盾があります、市指定史跡に昭和33年12月に指定されて
いるのに、史跡には文化財保護で勝手に天守、門、塀は作れない決まりになっている
のに、三井金属鉱業(株)が神岡鉱業所創業百年を記念して昭和45年6月に丸岡城、
犬山城を模して建てたとある、これにはなにをたてたかは書かれていないのは、教委
の苦肉の判断か?。
 なかったところに天守、門、塀は復元でも模擬でもなく観光用です、なので城として
書くのはちょっと、ですが、現状を写真で説明します。

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これか新しく作られた門ですが、中世の城なばこのような漆喰の塀はなかった
のでは、近世の城ならば高麗門の内側には枡形から櫓門があります、特に
本丸の正門では守りきれないのでは。

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DSCF4009.JPG
この天守は丸岡城、犬山城の天守を模した天守ですが、城についての説明
は一切ありませんので、詳細は不明です。

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天守内部です

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本丸を囲っている塀です、塀には狭間がありますが、かなり小さいので矢狭間
ではなく鉄砲狭間か、城らしく見せるための飾りか、これだとこれだと江戸中期
以降の戦争のない時代の建て方です。

この上の天守、門、塀は昭和になって作られたものですが、下の石垣、土塁、
堀跡、空堀については、なにも書かれていないので、コメントはしませんが、
上のパンフでは江馬城、江馬氏下館について、掘削調査で伝承を証明と
あるのは、逆に言えば神岡城は調査していませんと言うことではないでしょうか、
市では神岡城が昭和に建てられたにも関わらず平成12年に復元?してバンフ
まで作っているのは、市は認めていないのでは??・・・。
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上の写真は石垣、土塁、堀跡、空堀だと思われます。

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旧松葉家家屋とその内部です。


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写真左は天守にあるポスターで横に双眼鏡があります、右標準で見たときの
達磨像です。
DSCF3985.JPGDSCF3986.JPG
望遠で覗いた達磨立像で台座と合わせると16.5メートルで全てこの神岡で
採掘された銅で作られていて総重量15トンだそうです。
写真でみるといけそうもないように見えますが、行けるそうです。
下が神岡城とそのお寺と達磨像(奥の院)位置関係です。
地図.jpg

下は高原資料館です、神岡鉱山の史料があるそうですが、まだ開館前だったので、
入れませんでした。
DSCF4014.JPGDSCF4016.JPG

これで今回の、金沢城と神岡城は終わりですが、次回は金沢散策です。
今回は模擬建造物のお城の紹介ですみませんでしたが、

 ネット上ではこの神岡について紛らわしい情報だられです。

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